2016年8月9日火曜日

ラ・ウニオン2016/ランカピーノ・イーホ、ファルキート

「誰々が死んだ、何何も死んだ、これでもうフラメンコは終わりだ。本物のカンテは残ってない」
なんてことをいう年寄り染みたアフィシオナードがたまにいるが、アルティスタが亡くなり、その人固有のアルテはその人が天にもっていってしまうかもしれないが、フラメンコは決して終わらない。次々に新しい才能が生まれ育っている。ただ、才能はすぐには生まれたときにすぐそれとわかるわけではないし、育つのにも時間がかかる。
ここ数年、ソロアルバムをリリースし、リサイタルを開くなど表舞台にでてきたいい歌い手たちをみてもそれとわかる。舞踊伴唱を長年行ってきたもの、若くしてコンクールで賞をもらいペーニャなどで地道に活動してきた人。
でも確実に育ってきている。
そんな一人がランカピーノ・イーホ。
ふるきよきカディスのカンテの味わいを父から受け継ぐ歌い手だ。


カンテ・デ・レバンテにはじまり、マラゲーニャ・デ・メジーソまでは普通に座って歌っていたのだが、その後は父のように立ってマイクを握ってうたいはじめる。
カマロンが歌っていた歌詞にオリジナルの歌詞も加えたゆったりとしたタンゴはまさにカディスな雰囲気。 ファンダンゴ、そしてブレリア。
抜群の安定感。
父の遺産をしっかりうけつぐ二世がここにもいる。



休憩をはさんで今度はファルキート。

「インプロビサオ」というこの作品は、アンコールで彼がマイクをもって語ったところによると、クラシック教育についてよく話されるが、フラメンコは家で、町で学ぶ。インプロビゼーションは日々感じるフラメンコ、ということのようだ。
3人の歌い手マリ・ビサラガ、ペペ・デ・プーラ、アントニオ・ビジャールの紡ぐカンテを自由自在に踊っていくファルキートのすごいこと。
ギターは長年の相棒ロマン・ビセンティに加え、ヘレスの歌い手ホセ・ガルベス。
ギターを弾くのは知っていたがまさかギタリストで踊りの公演に登場するとは思っていなかったのでびっくりしたが、いやいやこれがいいのである。
技術ももちろんしっかりしているけれど、昔風のいい味わいがでてくるのだ。
出てきた瞬間のパワー、オーラがはんぱない。
シギリージャ。

サパテアードの迫力もさることながら、かたちの美しさ、間合いのとりかたがすごい。
みてください、このコロカシオン!美しいことこのうえないではありませんか。

決して足だけでパソからパソへとつめこんでいくことはなく、ゆったりと歌をマルカールし、舞台を大きくつかう。歩くだけのところもおおいのだがそれがまた間合いがよくてしびれてしまう。
フラメンコは決して足技だけのものではないのだ。なのにそのあたり勘違いしているのか、はたまた足を続けてないと不安になるのか、めちゃくちゃパソをつめこむ踊り手の多いこと。そんな踊り手たちのアンチテーゼといえるかもしれない。
ファルキートの一番素晴らしいところは、歌に反応して動いていることだ。
振り先にありき、ではなく、どんな歌がくるか、どんな風に歌ってくるかを瞬時に敏感に感じて動きがでてくるのだ。

それはギターソロをはさんだあとのアレグリアスでも、そのあとのソレアでも変わらない。
アレグリアスもソレアもみたことのない振りがどんどんでてくる。
なんて引き出しが多い踊り手なんだ。


最後、フィン・デ・フィエスタにはランカピーノ・イーホも登場し、
パーカッションを担当していたポリートがひと踊り。


そしてファルキート!

舞台横から撮影したのでみにくいかもですが、どうです、この表情。
フラメンコが好きでたまらないアルティスタ。
ランカピーノ・イーホ同様、祖父ファルーコや母からの遺産をしっかり受け継ぎ、それをより大きなものにしていく。
だからフラメンコはどんどん大きくなっていくのであります。
あー楽しかった。

照明のためのスモークたきすぎで、舞台がみにくかったことと、シギリージャのとき照明で彼の顔に変な影ができてしまっていたことだけが不満だけど、やっぱファルキート!
みてるこちらにパワーを与えてくれます



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